今日は大変な1日だった。な〜んでか。それはね、道を二度も間違ってしまったわけ。もう日にちの感覚、時間の感覚が全くと言っていいほどなくなっている。おまけに、歩くこと、食べること、メールをすること、寝ることで、脳みそがどうにかなってしまいそーだ。どうにかして〜。本筋から離れたが、山登りが嫌で、道路を行こうとしたのが悪かった。一時間強歩いてやっと何か違う感じたのね。そう、やっと感じたわけよ。そこで、家族連れがいたので聞いてみたら、やっぱり間違っていた。頭にきたよ。そして、愕然とする。次は元の場所に連れてって、お願いと言っても駄目だわなー。そこで、えーい、やけのやんぱちだと歩き出そうとした。しかし、この世の中捨てたものじゃないね。軽トラが現れ、乗っけ行ってやるぜ。乗んな。これ、本当なんだから。ただ、優しいおじいちゃまだった。さっきは泣きそうだったんだが泣かなくて良かった。と言うことで、ひわたの入り口の先まで送って貰った。心より合掌 長くなるが、もう一つ。四十四番を打って、四十五番へ向かう
山道で、横道に逸れてしまった。登るにつれて水があり、どうみても沢としか考えられない。ああ、遭難するのはこうしてかと思いながら、元に戻り遍路案内を見つけ、ほっとした。多分今日は仏滅だ。仏滅だーー
2010年3月23日火曜日
ここは内子町大瀬
ここ大瀬は非常に有名な文学者が出ている。それもノーベル文学賞だ。ノーベル文学賞なんだぞー。その人とは大江健三郎だよ。分かってた。どうかな。坊ちゃまは谷崎しか思いつかなかったよ。寂しいな。大昔親友のI君に言われて読んことがあったが、すぐにほってしまった。どうも脳の構造違うんじゃないかと思ったよ。民宿来楽苦の主人から聞いた話だが、ノーベル文学賞を貰うには社会的に地域貢献度が必要らしい。それで、ノミネートされてから地元でコンサートを開催してたようだ。これは、息子のひかりの事もあったようだ。4年に受賞したそうだが、それ以後は全くないとのこと。それともう一つ、坊ちゃまが見た立て札に名前がなかった事だが、一切余計な事はするなと言ってるそうだ。人間ちっちゃいんじゃねーか。本読まねーからな?
2010年3月22日月曜日
2010年3月21日日曜日
明石寺のエドヒガンザクラ
明石寺の庭に咲くエドヒガンザクラだ。満開だ!納経所で偉そうな感じだから和尚だと思うが、この桜は有名なのだと言う。この桜はもっと大きくなって400年後には素晴らしい花を咲かせるだろうって。誰が見てるのかな?あなたじゃないよね
第四十三番札所明石寺
誰か気づいてくれるかな。まあ、いいか、大したことじゃないから。この寺では、髭をはやした若者にあった。どこかで出会ったのではないかと思って声かけるが、初めてだったようだ。熊本から来たそうで、知り合いから悩みがあるなら四国を廻ってみたらと言うことで廻っている。今まではマイナス思考だったが、今回それをプラス思考に変えたいんだと。彼に言ってやりましたよ。もう既に変わっているよと。それは四国に一歩踏み出したことがプラスであると。そうなんですよ、千里の道も一歩より。人生はすべてこれだ、やるぞーー
第四十一番札所佛木寺
一つ前の龍光寺に入る手前で、同宿だった大阪の若者にあった。彼は頑張って40km歩き近くに宿泊したそーだ。彼からも早いですねと言われたが、いやいやと口にはしたが、心の中ではあたぼうよと思う次第であった。人間が出来てきたと思ってたが、逆戻りの心だー
2010年3月20日土曜日
今日の目標45km歩く
今は朝の5時。別にどうと言うこともない時間だ。ただし、いつもは7時過ぎで一番遅い出発だが、今日は多分12時間歩くことを覚悟している。さてさて、果たしてやり遂げることが出来るかどうか、次のコラムをお楽しみに。アディオス
雑談
山に入って、この水準点をよく見かける。徳島では、それ程ではなかったと思った。大したことではないが、気になったので書いたまで。もう一つは遍路道に村の昔話が書いてあった。一つ面白いのがあったので、紹介しよう。話しはトッポ話である。土佐の愚か村話の名人が、津島村の茂八と腕比べに来ました。名人が茂八を訪れると、家の前では10歳あまりの女の子が遊んでおり、「茂八さんはおるかの」と聞くと、留守だといいます。「どこへ行ったのか、と尋ねると、「父やんは裏の山がかりよる崩れていること 言うので、線香持ってつっぱりに行ったぞなし。」と答える。土佐の名人、さすが茂八の娘と感心して、「お母やんは…」と聞くと、「母やんは座敷で、ノミにぼんし ちゃんちゃんこを着せて遊ばしよる。」といいます。名人はこれでは到底茂八にはかなわぬとばかり、ほうほうの体で逃げ返ったとか。津島村にはこのような楽しいトッポ話しが数限りなくあるそーだ。トッポとはほら吹きのことさ。面白れーだろ。どうだ
2010年3月19日金曜日
登録:
投稿 (Atom)